夫と出逢い、子どもと出逢い、私はその度に生まれ変わる。(息子のADHD時代を振り返る切り口で

(2018のアメブロより。アドラーを伝える原点になる想いです。)

あんまり書くと本人に嫌がられるかも知れないのだが。

長男の幼少期は典型的なお調子者の落ち着きない男子。

クラスに、、いや学年に1人いるよね~みたいな、なかなか強力なやつ。

とてもゴキゲンで、公園では誰構わず話しかけ大人ともよく話し、興味のあるものに突進していき、興味の無いものには見向きもせず、子どもらしさをいつも発揮して空気の読めない発言で大人たちを苦笑させ、食べるのが好きだから上手に食べ、レストランや乗り物は大人しくゴキゲンに座っていられるが、お遊戯会?や運動会でじっと座って待つのは意味が理解が出来ないようでソワソワ。小学校に上がると、朝礼でソワソワ。低学年くらいまでかな。授業中は自分ルールでトイレ行き放題だし、体育の時間はお散歩に出てしまう。

そんな訳で、例に漏れず「発達に問題があるのでは?ぜひ病院へ」なんて学校で言われ、

(そうゆう時代なんですねー)なんて冷静な自分と、(てか私の育児のせい?遺伝?なに?ちゃんとしなくちゃダメだよね?みんな学校で我慢したり言う事聞いてるのに、ウチだけ自由にしてたら、迷惑だよね???それにずっとこのまんまだったらどうする?)な私もいて、せっせと素直に先生の言う事を聞き学校にも本人にも良いだろうと思う方向で動いていたつもり。

「そんなもんだよ~。性格良いんだし、大丈夫大丈夫」って楽観視してる夫や実母には、「てゆーか、何か言われるのは私なんだけど!毎日のように来る電話や連絡帳の対応、、してみろや!!!」

と泣きたい気持ちを、言えばいいのに言えず、小出しにする程度で、モヤモヤ過ごし、自分を、息子をも責める日々。

(←この時点で、子の為にとか言いながら、あらまあなんと親都合で事がすすめられてるよね。「普通からそれる。それを指摘される」ことで、私はかなり追い詰められていたのです。いや、追い詰められますよ。一緒にちゃんとさせましょう!みたいな雰囲気なんだもん。まあ、この私の問題はある日学校に呼び出された際、あと一年で退職のやっつけ仕事してます感満載の校長の雰囲気と、当時の担任の「このままじゃ普通の中学いけませんよ?行きたいですよね?お母さん」の言葉と、病院でなく学校から投薬を勧められたことで『あれ?なんだこれ?ああ、、私は我が子を信頼せず一生懸命コントロールしようとしているんだわ!社会のせいでは無い!学校でもない!私か!あははは!!!』と、一気に目が覚めそれと同時に私の焦る気持ちも、長男のいわゆる問題行動といわれるようなモノ?も、不思議と収束に向かうのであった。さかなクンとさかなクンのお母さんをもっと早く見習えよ過去の私!って思う。)

まあ、それでも色々あって、育児の悩みは尽きず、

それは子ども自身とか育児の方法とかが問題なのではなく、自分の中身に問題があると確信はしていて、そこからやっとこさ外の世界に助けを求めたり話を聞きに行ったり学ぶ事でだんだん解決へと向かった。

はあ、心開いて、友達にでもどんどん話したら良かったんだけど、どんなに仲のいい友達にも話せなかったんだよねー。

私の幼少期からの考え方のクセ。

私が作った常識。

いつだって、壊しながら、更新しながら、生きてきたつもりだったけど、そうでもなかった。

何が話したいのかと言うと、

まだまだ「ダメ親」な自分が出てきて、

久々に「もういい加減やめようよ、、」と具合悪くなる程に凹んでいたここ最近。

色々あったけど長男、

普通の中学行って(笑)普通に生きてるよなぁ。って。

勉強しないし、辛いこともそれなりにあるみたいだけど、先生にも可愛がられ、毎日誰かしらと外で遊んでるし、好きなしょーもない(と思ってるのは私だけですね)動画見たり、絵を描きまくったり、見よう見まねでピアノ弾いたり、映画を語ったり、漫画も小説も良く読み、怒られては凹み、時には反発の眼差しだったり、でも親子の会話も楽しいらしかったり、休日は家族より友達と遊ぶのが楽しかったり、旅は仕方なく付いてきたものの海に入ると「ちょーー楽しいーーー」と爆笑してたり、家族の事は好きらしいし、何より自分が好きらしい。

あんなに悩んでたけど、

いまもダメ親な自分を責めるけど、

自分が好き。

って、

ああ、大丈夫じゃん。

私はねー、自分が好きなんて言えなかった。

私はただ、この人から学んだんだよ。

「自分の責任で自分を生きなさいよ」

と。

そんなわけで、

これでもだいぶ、ラクに生きてます。

親に悪い気がして気持ちに蓋してたけど、、、

子ども時代、かなり、苦しかった!!!!

あーー笑える。

で、今日たまたま目にした村椿菜文さんの文

「普通にガミガミ怒って、機嫌のいいときには大笑いして、一日の終わりにかわいい寝顔にチューできればそれでいい」

が、響いて。

ああ、私は私でいいじゃないか。

幸い誰も「私自身」を否定してはいないじゃないか。(否定されてると思っているのは私だけ)

と、思ったのでした。

生まれた環境、

親の気質、親の常識、

出逢う大人、友達関係、

人生の様々なサプライズ、

誰かの死、

自然や動物との触れ合い、

いろいろ吸収して感情動かして、

「私」が出来ていく。

一生、変化を続けながら。

その「私」を、

「私の責任」で生きるから面白いのに、

世間の目を気にしたり、

親の目や立場に気を遣ったり、

親の目や立場に気を遣ったり、

(大事なので2回言いましたw)

心配させまいと我慢したり、

怒られるのが怖かったり、

裁かれるのが怖かったり、

ああ、他人軸ってこういうことね。

だーーーかーーーらーーー

こんなにも生きづらいのか!

ってね。

驚きましたわよね。

いい子ちゃんやってきた中でも、

自分をも騙すくらいいい子ちゃん。ていう方々そこそこの人数いると思うんですけど、

わかるでしょ?どう?

革命だよね。

いやー、やっと人間になったかな。

自由な夫との出逢いも衝撃で有難いものでしたが、長男との出逢いもそんな訳で衝撃で感謝してもしきれない。

(私の成長。という目線で見ると、続く次男、長女もそれぞれの独特のキャラで私を成長させてくれていて、段階を踏んでる感じが面白い)

何度も言っちゃうけど、

ほんとに私、

人生をひとのせいにして放棄してきたんだ。しかも無意識に。

そんな41歳。秋。ふぅ。

(年齢って文字にするとビックリする)

心から言える。

あー、幸せ。

(幸せ、という言葉を口にする事に抵抗があったと話したら夫に驚かれました)

おめでとう私!

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