こんにちは。
ともながようこです。
2021年、最後の日。
皆様いかがお過ごしですか?^^
私は、
28日に祖母が亡くなりました。
実家で同居していた祖母。
(結婚して私は家を出ましたが近所に住んでます)
私が前に進むためにも、書き残しておこうと思います。
良かったらお付き合いくださいませ。
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Facebookには書いてたのだけど、
祖母が夏に骨折し、手術をして退院したのが11月の頭。
退院してすぐ、
祖母は「もう何もしてくれるな」という雰囲気でしたが
(いつ死んでも良い準備は本人は整えていたし・・)
来て下さる看護師さん達のおかげで、
ぐんぐん歩けるようになり、
デイサービスにも隔週で行ってくれましたし、
何より、食欲があった
「病院の食事は不味かった!」と、
退院してすぐ、
お寿司を喜んで食べていたのが私も嬉しかったし、安心した^_^
足のむくみから大きな水泡ができた以外は体調も割と良く
(水泡のおかげで看護師さんが毎日来てくれたのも私達を癒しになった!)、
12月中旬には、
「いつどうなってもおかしくない年齢であること」
「このまま、120歳くらいまで生きちゃうかも!」
どっちの覚悟(と期待)もできた。
おばあちゃんのこの状況を受け入れられなかったのは、
おばあちゃん本人ではなく、
混乱してる母と・・・私もだ!
てゆーか、どっちかというと私だ!!!!!
と気付いたのも、この頃で。
ふと気が緩んで、泣いて、
悔いのない時間を過ごそうって思ったら、
もう、全てが輝いて見えたし、
(混乱してるように見えた母も落ち着いた。やはり、鏡だ・・・)
うん。そうなの。12月中旬、色々覚悟が決まった。
私は時間的に余裕ある生活をしてたから良かったのだけど、
生活の為に仕事をやめられなくて自分で介護したいのにできない(育児もそうだよね)、
または、助けてもらいにくい色んな状況があるとしたら、おかしな事だなぁ、ってモヤモヤ、ふつふつしたりもした。
そんなこんなで、気持ちも落ち着き、慣れてきた頃、
一日だけ、体調を崩した祖母。
血圧も良くなく顔色も悪く本人から「最悪の気分よ」と言葉が出るほど(初めて聞いた!そんなセリフ!)。
その晩、復活したのだが。(マジすげえ)
その数日後かな、
「食べたくないのよ」と食べる量が減り、
「眠くて仕方ないのよ」と、よーーーーく眠る日々が始まった。
すると当たり前だけど、みるみる痩せていき、
(でも、苦しそうでもないのだよね。)
その時は、家で看取ります。なんて話もして。
(状況が変化すると、すぐケアマネさんと現場に来る人達で連携してくれ、私達と話し合いをしてくれる。何度でも。本当に安心感しか無かった!)
「お水ちょうだい」と、水だけはどんどん飲んでくれていたのが、
ついに、あまり欲しなくなり。
(そうそう、ほぼ最後までオムツのお世話にはならなかったのだよ。マジすげえ。)
頭が家族の誰よりしっかりしてたけど、
(退院時、「介護のお金、通帳からジャンジャン使いなさいよ」と言われるも、昔教えられてた通帳のありか、私も弟も忘れかけアワアワして、「あの引き出しよ!あった?あったのね?ヨシ。」とやり取りしたのは最高の思い出ですw)
ついにあまり喋らなくなり。
でもね、亡くなる前日、
私がアンお迎えついでに実家寄ってベッド脇に座ってたら、
「あら居てくれたの?もう帰りなさい。ありがとうね。」
って言ったんだよね。
その前の日はアンの顔見て、んーーーて、微笑んでたしね。
ちびっ子の姿は可愛いんだね。
で、亡くなる当日も、私はフリーだったので昼前に実家に寄り、
陽が入りポカポカのおばあちゃんの部屋でお昼を食べてた母と共に
(これも今考えるとアレだな。いつも茶の間で母ご飯食べてたのに)、
おばあちゃん寝てるね〜って確認して。
その数時間後でした。
「おかしいの。てゆうか、息してないかも・・」と、
母からTELあり、
看護師さんがちょうど訪問予定だったので事前に伝えてることができた形になり。
お医者さんもその後すぐ来てくれて。
大往生と言っていい、素晴らしい亡くなり方。
そんな12/28の午後でした。
各施設が年末年始の当番制になる直前だし、
葬儀屋さんやお寺さんにもスムーズに連絡取れてその日の夕方までにアレコレひと段落しちゃったし。
親戚や近所、誰に伝えるんだ?って思った瞬間、
近所の親戚がちょうど「様子見に来たよ〜」って来たし。
(おばあちゃんが呼んだとしか思えないw)
伝えるべき人にはすぐ伝えられた。
んで、葬儀は年明けなので、
ゆっくり準備しつつ写真とか探してみたり、
毎日線香あげて色々じわじわ味わってる。
葬儀終わったらドッと来るんだろうけど、
でも、ゆっくりペースなおかげで、そんなでもないのでは無いかなと。
覚悟もしてのタイミングで、
(待ってくれたんだねー。みんなでその時を迎えたって感じ。)
生きてる時から完璧だったけど、
「最後くらいちょっとこうやって、
介護とかしてもらって甘える頼る試練してるぜ、ばーちゃん!」
と思ったけど、
やっぱ最後まで完璧だったし、
最後まで勉強させてもらうのは、私だった。
すげえっス。
嫁には厳しかったけどw
私達孫には優しく、いつも身体を気にかけてくれ、それがプレッシャーになって勝手に辛さも感じてたけど(しかも完璧な姿。背中を見せる!だけの躾の威力よ!)、
揺るがない愛の姿勢に触れるとやっぱ安心したりしてた。
(元教師→完璧専業主婦。上品さと、お茶目さも兼ね備えたザ牡牛座ね)
祖父母同居の幼少期、デメリットもあったけど、
安心感は半端なかったし、それはそれで良かったな^_^
なんだかんだで、大好きで、誇りでした。
退院してすぐくらい、
二人きりになったタイミングで「今までありがとう」を伝えあえて本当に良かった。
どうやってそんな話になったか忘れたけどw
103歳!
先に亡くなった父の代わりに、
私の結婚も出産も喜んでくれて、3人のひ孫を愛でてくれた。
なにより、ずっと、私が安心感をもらってた。
やっと卒業できる覚悟ができたのかも。
それまで待っててくれたのかな。
お疲れ様でした。
ありがとう!
おじいちゃんとお父さん(旦那さんと息子ね)と念願の再会楽しんでるといいな^_^
(ずっと嫁姑で同居して、家で介護もやりきった母もお疲れ様!あんたもすげえよ!羽ばたいてくれ!)
私はこの写真気に入ってるのだけど、遺影はもう少し若いやつ選んであげてますw
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