2021→2022!節分前に、夫と穴八幡宮へ。
「穢れる・気枯れる」と言うけれど。
年末に祖母が亡くなって、
年明け元気に葬儀を終えたものの、
気持ちが落ちっぱなしでした。
順番とはいえ、覚悟してたとはいえ、
44年近くに居たわけですから、そんなもんかぁ。と。
父が亡くなった時を思い出しても「こんな辛かったっけ?」と、涙が出ちゃう日々。
夜中にびゃーびゃー泣いて呼吸も苦しくなって、ビックリした。
そんなもんかぁ。
おかげで、益々優しくなれそうだね。
人は感情を抑えちゃうことが、ある。
父の時は(私がハタチくらいの時。20年程前だ!)、
忙しさと、周りに落ち込みまくる人続出で、
落ち込めなかったので(勝手にそう判断したのは私ね)。
思いっきり辛さを味わえる・表現できる自分になれた事が嬉しいとも思えます。
思いっきり、気枯れる。
日常はどうしたって進んでいくわけで、
つい無視してしまいたくなる「悲しい寂しい大好き」を、スルーしないで遠慮なく感じられるって、有難いし、きっと一番の元気への近道なのかも。
泣いてなんかいられない。
私がしっかりせねば。
心配かけるから涙は見せれない。
意外と大丈夫だ。
結果的に後から拗れて迷惑かけるやつかもw
まあ、でもその時は自分で気づけなかったりするんだよね〜w
大人も子どもも、
怒ってる!悲しいよ〜!寂しいよ〜!話聞いてよ〜!
嬉しいなー!幸せだなー!ありがたいなー!楽しいね!笑っちゃうね!
って、どんどん表現・主張できるといいよね。
我慢しなくていいんだね。
ところで、「喪に服す」ってなんだろう。
そんな1ヶ月。
色んな事後回しにしまくって、
いっぱい寝て、元気になってきました。
(たぶん色んな人に迷惑かけてるごめんね)
「喪に服す」ってのは、
制限されてるようだけど、
なんもせず寝てなさいって優しさから生まれた慣習なのかもねとか思いました。知らんけど。笑
死は穢れ = 神社は行っちゃいけないなんて話もあるけど、
気分が落ちてる時こそ浄化してもらうという意味では「行ってはいけない」ということは無い。
むしろ、パワーもらいに行ってね。という意見もありましてそりゃそうだなと思いました。
https://zinja-omairi.com/喪中に神社参拝をしてもいいのか?/
(羽賀ヒカルさんのお話好き。)
とはいえ、
元気もらって仕事するぞー!神社行って、がんばれ!復帰!
みたいな無理はしちゃいけないです。
無理と思わなくても基本休むべきトキです。
そう思いました。
んで、なんもなくても、普段から自分を労ってね。
普段からよ。
頑張っちゃいけない訳じゃないが、苦しいのはやめよう。
ほんとにそれやるべき事?って考えよう。
自分で自分を労ると、
周りからも大事にされるミラクル。
信じてやってみてー。
(SHINE講座でもみんな実験してる^^)
さあ、朝永家2022年も良い仕事するよ〜
遊びもマジメに!
ゆっくりいかせていただきます。
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